会長・幹事挨拶
 会長あいさつ        会長 鈴木 和夫

今日のホーム・ミーテングは多田初代会長がこの度、国税庁長官納税表彰を受賞されたことに対するお祝いと交換留学生パオラさんの歓迎会です。サミエル・ウルマンに「青春」という有名な詩がありますが、多田会員の人生はまさにこの詩にピッタリではないでしょうか。
『青 春』
 青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。優れた創造力、逞(たくま)しき意志、燃ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける猛勇心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うときに精神はしぼむ。苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰も(あたかも)長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く、求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時こそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。』
角川文庫の「青春とは心の若さである」や参考資料によりますと、ウルマンはユダヤ系のドイツ人で、1851年に11歳のとき両親とアメリカに移住し、40代で金物屋を経営し、実業家として成功してから社会貢献活動にも熱心で社会的弱者を救済する運動に生涯を捧げた「利他の人」であったと言われています。また市民から尊敬を集めた人格者であり指導者でもありました。引退してから詩を書き始めたそうです。この詩は78歳のときに作られました。家族や友人が、彼の80歳の誕生祝として詩集を出版しました。この「青春」は詩集の巻頭に載っているそうです。1924年84歳で亡くなりました。

アラバマ州バーミンガムにあるウルマンの家はソニーの盛田昭夫氏などが中心となり浄財を集めて買い取り、記念館として残っているそうです。
この詩は日本の経営者に静かに広がっていったと言われています。1945年(昭和20年)、終戦の年の12月号の「リーダーズダイジェスト」の英語版は時のマッカサー元帥の執務室に座右の銘として掲げられてあることを紹介しました。それを読んだ当時の日本フェルト工業統制組合専務理事の岡田義夫氏が翻訳し、自分のオフィスに張っておきました。それを見た友人の旧制高校の教授をしていた森平三郎という人がその格調高い漢詩調の詩に感動し、新聞に発表したり、教え子に紹介し広まったと言われています。教え子の中にはソニーの重役になった人もいました。その後、松下幸之助の目にも留まりウルマンの詩からヒントを得て自らも詩を作りました。
『青春とは心の若さである 
信念と希望に溢れ 
勇気に満ちて 
日々新たな活動を続ける限り 
青春は永遠にその人のものである 』
幸之助は80歳で会長を退き相談役になりましたが、人生から引退したつもりはないと言い、事実84歳のとき理想の日本を作るために指導者育成を目指して私財70億円を投じて「松下政経塾」を開設し、自ら理事長兼塾長に就任しました。94歳の生涯を終えるまで「青春とは心の若さである」という信念と希望を持ち続けた人でした。

◇ 音楽鑑賞例会 福島音楽堂
「チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団」
◆スメタナ「モルダウ」
◆チャイココフスキー「協奏曲第1番」
◆ドボルザーク「交響曲第9番 新世界より」チェコの逸材 “アルトリヒテル” が 若き天才ピアニスト “ジェヴィツキ”と魅せる垂涎のプログラム