音楽鑑賞例会 2008年2月27日(水)
 会長あいさつ 会長 鈴木 和夫
 2月はロータリーが創立した月であり、「世界理解月間」の特別月間にもなっています。目的は世界平和に不可欠なものとして理解と親善を強調するプログラムを用意し実施するよう要請しています。このことはロータリー綱領第4項にもあります。また2月23日から一週間を「世界理解と平和週間」としています。
2年前に読みかじった本から紹介します。
(「驕る日本」と闘った男・朝河貫一 清水美和著 講談社)
1905年にロータリーが創立されましたが、その頃、福島・二本松出身で世界的な歴史学者になる朝河貫一がアメリカの地で日本を想い『日露衝突』や『日本の禍機』という本を出版しました。1904年に日露戦争が勃発します。朝河は遠くアメリカの地でこのことを知り、小国日本が大国ロシアと戦うことに憂慮しますが、愛国心に満ちた彼は傍観者でいることができず、この戦いの目的をアメリカとイギリスにわかってもらうためにこの本を執筆したのでした。30歳の時です。「日本は自国の存亡のために宣戦したのだ」ということを。                 
 開戦に踏み切った大義名分には二つの原則がありました。「中国(当時は清国)の領土保全」と「満州、韓国における列国の機会均等」でした。
彼は本だけではなくアメリカ各地で講演を行い日本の立場を理解してもらう努力をします。その努力が実りアメリカは日本に理解を示し、ポーツマス講和条約では賛否両論渦巻く中でアメリカの仲介で日本は勝利します。
しかし日本はやがて朝河の日本を愛する心と努力とは反対に、ロシアに勝って政策の舵を変えました。それは韓国の植民地化と満州における利権の排他的独占であり、中国の主権を脅かすものになったのです。朝河の目には、日本のこれらの行動はアメリカや先進国への裏切りと映りました。
 朝河は歴史学者ですから19世紀に明け暮れたヨーロッパの植民地戦争の横暴と悲惨さを知っています。ロシアとの戦いは正義の戦いでした。しかし、それがこともあろうに日本が東洋の平和をかく乱する主役に立ってしまったことに憤りを感じます。朝河には、アジアに於ける日本の孤立と、太平洋を挟んでやがて生ずる日米の衝突が、確実に見えていたのです。朝河の不安は的中しました。1914年第一次世界大戦が起こり、日本は中国にドイツが持っていた権益を横取りして21か条の要求を飲ませ権益を拡大させました。これにより中国の対日感情は大きく悪化しました。
 朝河がアメリカに留学する前年に日清戦争が起き勝利しています。日露戦争にも勝ちました。第一次対戦でも戦勝国となりました。これより日本は軍事色を強めていきアメリカなどは警戒を始め、やがて第二次世界大戦へと歩み始めます。朝河は遠くアメリカの地で日米戦争をどうしても避けなければならないと考えます。
 朝河は1941年11月に渾身の力と祈りを込めてルーズベルト大統領に天皇へ平和を呼びかける親書を送ることを提案し草案を書きました。しかしその願いは叶えませんでした。翌月12月7日、日本はアメリカに奇襲攻撃・真珠湾攻撃を行い太平洋戦争へ突入していったのです。ルーズベルトから親書が届いたのは不幸にもその後でした。朝河の悲嘆は計り知れないものだったといわれています。日本ではしばらくこの親書の件は黙殺されます。
 朝河貫一は1873年(明治6年)に二本松藩士の長男として誕生しました。貫一という名前は論語の「忠恕一貫の道・わが道、一をもってこれを貫く」から命名したそうです。母親を2歳で亡くし継母に育てられます。貫一は生まれながらの虚弱児でしたが、慈愛あふれる義母に育てられ5歳のころには人並みになったそうです。父親は二本松藩士でしたが明治になってからは立子山尋常小学校の校長を務め、彼もこの小学校に入学します。高学年になり、二里半離れた川俣高等小学校に転校します。父の勧めで日本の歴史書や儒教なども学び7歳前後で12,3歳の学力があり、人々から「神童」と呼ばれたそうです。
 向学心に燃える貫一はやがて1887年(明治20年)福島県庁の近くにあった福島県尋常中学校に入学し、その後安積中学へ転校します。そこでのエピソードに卒業の総代として答辞を英語で行いました。見事な流暢な演説であったといわれています。その時立ち会った外国人教師は朝河について「やがて世界はこの人を知ることになるであろう」。そのほかにも数々の伝説を残しているそうです。
 その後、彼は1895年7月に東京専門学校(早稲田大学)を主席で卒業し、彼の優れた能力を知る人たちはアメリカ留学を進め横浜港を出航します。彼を応援した人たちは大隈重信、徳富蘇峰、勝海舟、坪内逍遥そして最初の留学先であるダートマス大学の学長など他にもたくさんの人たちがいました。朝河はアメリカで1948年(昭和23年)74歳の生涯を閉じます。アメリカでの彼のニックネームは『さむらい』でした。
● 県北地区中学校バレーボール大会について
                         社会奉仕委員会 委員長 本間正一郎
第二回福島中央ロータリークラブ杯開催

 県北地区中学生バレーボール男女選手権大会が23日(土)~24日(日)両日にわたり霊山中学校をメイン会場として女子36チーム男子9チームにより開催されました。
 開会式当日は会長・幹事・社会奉仕委員会にて出席してまいりました。
 鈴木会長が挨拶をし又ロータリーの活動等を参加生徒・父兄へアピールしてまいりました。
参加者・父兄の方々も数多く大変盛況な大会でした。
 次年度も開催していただきたい旨、希望を承ってまいりました。
試合結果は下記の通りです。

 男子  優 勝 福島市立第三中学校
     準優勝 福島市立信陵中学校
     第3位 福島市立大鳥中学校
     第3位 伊達市立梁川中学校

 女子  優 勝 二本松市立第二中学校
     準優勝 福島市立北信中学校
     第3位 二本松市立小浜中学校
     第3位 福島市立第三中学校