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2017年10月11日 ゲストスピーチ 南東北病院 佐藤忠廣様

会長あいさつ                           会長 梅津 寿光
 皆様、こんにちは!
 10月のロータリーは、日本独自の特別月間として「米山月間」を設けております。米山梅吉については、今までも色々お話し頂いておりますが、今週は地区大会が開催されます。本日は、別の角度からロータリーの父、米山梅吉の「人となり」を紹介させて頂きたいと思います。
彼は、ロータリーに対して、かたくなに、質の高さを求めていたようです。まず、会員については、ロータリーは国際性のある団体であるから、英語が出来ることが入会の最低条件としました。例会場の会話も、会報も全て英語。ロータリー関係の資料の翻訳はありません。すべて原語です。日本語に翻訳すると、却って意味が違ってくるので必要ないと言う考えであります。その考えは、東京ロータリークラブのみならず、その後設立された大阪、神戸、名古屋、京都、そして6番目に創立の横浜ロータリ-クラブまで続きます。
彼は、クラブの拡大についても、RIの拡大方針とは一線を引いており、日本独自の質の高さを意識したクラブ創りを貫きます。
米山氏は、RI本部代表として、次の様な挨拶をしています。「会員の増強を図ることは必要な事であり、望ましい事である。しかし、むやみに会員の増加を図るべきでない。日本のロータリークラブは、最初から、会員の数よりも質に重きを置くのでなければ、真の国際平和、国際理解と言う目的を達することが出来ないという事でやってきた。私は、この日本のロータリーの伝統的な生き方が間違っていなかったことを切実に感じている」と世界に向け、堂々と述べております。
その後、国際状況の悪化と共に正しい声を国際社会に届けるためには、数の必要性を感じ、ロータリ-クラブの設立にも、積極的に尽力することになります。
彼は、新しいロータリークラブを作る時、目を見張る様な、あっと驚く超一流の人物を会長に持って来る手法をとっています。例えば、台北、札幌、仙台のロータリー創立時には、その地域の帝国大学総長を会長に持ってきて、周囲を驚かせ、それで、一気に認知度と求心力を高め、その後のスムーズな会の運営を図ります。
さて、当然東北にもロータリークラブ設立の動きが出ます。東北初のロータリークラブを仙台に作る。その準備のため、米山梅吉や仙台の財界人、名士が打ち合わせを重ねておりました。
この情報をキャッチし、大逆転したのが、後に郡山ロータリークラブの初代会長となる橋本万右衛門氏です。「仙台でロータリークラブ設立の動きがある。それなら一歩先んじよう。米山梅吉と当時の第70区幹事の芝染太郎がロータリー設立の打ち合わせのため仙台に行った帰り、郡山に寄ってもらい、ロータリークラブを設立したい旨を伝えます。
そして、その年の3月には、幹事の芝に来てもらい、一気に仮発会式にこぎつけ、その2か月後の昭和11年5月19日には、正式な発会式に至ったという強引ともいえる手腕は、今でも米山の資料に残っています。
その1年後、郡山にて認証伝達式が行われ、米山梅吉が挨拶します。「皆さん、今日は、未熟児が生まれました。人口5万人の町ですくすく伸びるかどうか不安です。参会の皆さん、どうぞよろしく面倒を見てください」と皮肉交じりに述べたそうです。
橋本万右衛門は、郡山の財界人です。橋本合名会社、北日本商会の社長、郡山商工会議所の会頭、郡山開成学園理事長、貴族議員、参議院議員を歴任となっています。
東京に支店を持ち、東京財界人と交流があり、日本工業倶楽部の会員であったために、そのような会合で、以前から、米山梅吉からロータリーについての教えを直接学んでいたようです。
一方、仙台は、米山梅吉が郡山より先に設立に向け働きかけていたにも拘わらず、設立は、翌、昭和12年2月20日と1年遅れとなってしまいます。これにより、東北で1番目に設立されたのが郡山ロータリー、2番目が仙台ロータリーとなり、郡山は、ロータリーの歴史にその名を残すことになります。この橋本氏の行動力には脱帽です。
こうして、日本のロータリーの設立、発展のため尽力した、米山梅吉でしたが、戦争の激流が襲い掛かります。何より、ロータリー本部がアメリカにある事。また70地区が、ソウル、大連、奉天までそのクラブが拡大しており、日満ロータリー連合を組織されたことで、軍や警察は激しく介入し、マスコミからは、徹底的に袋叩きにあいます。
日本と言う国家、社会のため尽くしてきた日本のロータリーを国賊呼ばわりするのは何事か。その無念さは、計り知れないと思いますが、議論を尽くした結果、日本のロータリーの幕を開けた、米山が、自らの手で幕を下ろすことになります。断腸の思いの決断でした。
東京ロータリークラブ最終例会、米山の最後の言葉が終わった後、みんなで「奉仕の理想」を歌い、閉会点鐘が鳴りひびき、戦前の日本のロータリーが解散、終焉を迎えます。昭和15年9月の事です。
戦後、RIに復帰した、日本のロータリークラブの幕開けを米山は見ることなく、昭和21年4月に亡くなっております。今週、地区大会が開催されますので、本日、この様なスピーチとさせて頂きました。 以上です。

米山記念奨学生

レ・ティ・イェンさん へ奨学金贈呈

   
   


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